2019年最初のブログは、僕とイタリアの出会いについて書かせていただきたいと思います。
とりあえず長くなると思いますので、お暇なときにどうぞ。
(書き終わってみて→想像以上に長くなりましたので、めっちゃ暇なときにどうぞ・笑)
(この記事の鍵となるスタディオオリンピコのグーグルマップです)
大学のゼミ旅行でヨーロッパ6ヶ国を約1ヶ月かけて周遊する企画があり、「英語もロクに話せないし海外とか特に興味もないけれど、卒業して就職したらそんな長い旅行とか行けんやろし、食わず嫌いもなんやからとりあえず行ってみるかな」ぐらいの気持ちで申し込んでみたのですが、しかし。
この旅行が人生を変えることになるのですから、わからないものです。(苦笑)
ローマとラツィオのホームスタジアム、スタディオオリンピコです。
まず旅の始まりの前置きとして
1)初めての海外旅行
2)英語もロクに話せない(中二レベル)
3)きわめて方向音痴(ヴェネツィアは毎回迷います・笑)
4)異国を1人で歩くなんてとんでもない(小心者・笑)
5)お酒は強い方だと思いますし、周りからも強いと言われます。
あたりを頭に入れていただいた上でお読みいただければと思います。
旅行に行く前から6ヶ国の中でもなぜかイタリアに1番興味があり、ローマに金曜日の夕方到着して2日後の日曜日にスタディオオリンピコでラツィオvsミランの試合があることは確認していたサッカー馬鹿な僕。
でも、一緒に行く友人達はサッカーにまったく興味がなく、日曜日のスケジュールにサッカー観戦を提案してみるものの即却下。
外国を1人で歩くなんて考えられなかった僕はサッカー観戦をあきらめ、ローマ観光のスケジュールを考え友人達と共に行動するつもりでいたのでした。
時間は飛んでローマに到着したその夜、すでにイタリアに来たことがある別のゼミの学生たちに連れられて1軒のレストランへ。
大勢で賑やかに楽しい夜を過ごす中、最初はお酒の弱い友人に「大丈夫?顔真っ赤やで」とか心配する余裕があったものの、尋常じゃない頭痛と気持ち悪さで目が覚めたときはホテルの床で寝っ転がってました。
経験したことのない二日酔いと頭痛にフラフラしながらも、同部屋の友人に「ごめんなさい!!」と速攻ジャンピング土下座。
前夜の記憶が途中からまったくなかったのですが、話を聞くとまあいろいろとやらかし迷惑をかけていた模様。(汗)
で、とりあえず二日酔いで完全ノックアウトの僕はその日のローマ観光をあきらめ、ローマの町に繰り出す友人達を見送りホテルで寝たきり状態。
イタリア語もわからないままにTVを見ていると、やたら日本のアニメを流すチャンネルがあってドラえもんもやってて、『Ciao, Doraemon』というセリフに「のび太くんがイタリア語しゃべってる・・・」とか不思議に思いつつ1日過ごしました。
そして土曜の夜に友人達が帰ってきて、翌日曜日をどうするかを考えなくてはいけませんでした。
土曜日丸一日僕が寝込んでいたため、もともと僕が行きたかったローマの観光地に友人達は土曜日に行っています。
もちろん日曜日は別の観光地へ行くため、僕は友人達と一緒に行くか、土曜日に友人達が訪れた場所を1人で行くかのどちらかを選ばなくてはいけませんでした。
「初めてのイタリアを1人で歩くなんて考えてなかったけど、でもヴァチカン美術館は行きたいしなあ・・・」
と悩みに悩んでいる中でふと、
「って、どうせ1人ならサッカー見に行ったらええんちゃうん?」
と気付き、行き先をスタディオオリンピコに決定、サッカー馬鹿が1人でローマの町を歩く不安に打ち勝ちます。(笑)
当時はスマホもグーグルマップももちろんなく、某ガイドブックにもスタジアムへのアクセスは載ってなくて、かろうじて読者投稿欄に載っていた「ポポロ広場から川沿いを歩いてスタジアムに行きました」という言葉をヒントに、15時キックオフの試合に向けて朝10時にポポロ広場に降り立ち、添乗員さんに教えてもらった「スタジアムはどこですか?」というイタリア語だけを頼りにスタジアムを目指します。
(冒険の始まり、ポポロ広場のグーグルマップです)
初めてのおつかいよろしく、教えてもらった「スタジアムはどこですか?」というイタリア語を呪文のように繰り返しながら、誰に声をかけるべきか考えていました。
ポポロ広場には、明らかにスタジアムに行くであろうラツィオのユニフォームを着た若者もいたのですが、原付に2人乗りで叫びながら爆走している彼らはいかにも危なそうでしたので却下しました。
とそこに、1人の警察官の姿が目に入りました。
なんだかおじさんと世間話しているようです。
「邪魔しちゃ悪いかなぁ・・・」
と思いしばらく世間話が終わるのを待っていたのですが、いつまでたっても終わる様子はありません。
仕方なく警察官に近寄って行き、呪文のように繰り返した覚えたてのイタリア語で
「すいません、スタジアムはどこですか?」
と聞いてみたのですが、僕の発音が悪かったのか理解してもらえませんでした。
でも、さすがに何かを尋ねていることはわかったのでしょう、警察官が僕に何かを聞いてきます。
ですが、それはイタリア語だったため僕にはまったく理解できず、相変わらず
「すいません、スタジアムはどこですか?」
を繰り返すことしかできません。
ちなみに隣のおじさんは僕と警察官のやり取りを黙って聞いているだけでした。
言いたいことは伝わらず、相手の言ってることも理解できない状況が続く中、どうしようもなくなった僕は半ばやけ気味に言いました。
「ラツィオ!ラツィオ!フットボールゲーム!!」
僕が言いたかったことを警察官がやっと理解してくれたその瞬間、今まで隣で黙って聞いていたおじさんが突然口を開きました。
「Oh~!Lazio!Lazio!!○▲※☆;□♪#・・・・」
おそらくはラツィオのサポーターだったのでしょう。
そして、目の前のアジア人が自分の愛するクラブの試合を見に行くことがよほど嬉しかったのでしょう。
でも、興奮気味に早口でまくしたてるおじさんのイタリア語を、僕が理解できるはずもありません。
あっけにとられて茫然と立ち尽くす僕に、警察官がスタジアム行きのバス乗り場を教えてくれようとします。
がしかし。
そんな警察官を
「オマエは黙れ!今オレがしゃべってんだ!!オレがコイツにスタジアムの場所を教えてやるんだ!!」
とばかりにジェスチャーで制止して、相変わらず僕にマシンガンなイタリア語をぶつけてきます。
僕が理解しているかどうかはまったく関係なく・・・・
ただただ立ち尽くす僕が視線で警察官に助けを求めたところ、しゃべりつかれたのかおじさんは肩で息をし始めました。(笑)
と、そこでようやく警察官が指で方向を示しつつバス乗り場とバスの番号を教えてくれたようなのですが、やっぱり僕はイタリア語わかりません。
(なぜか3人とも英語で話すという選択肢はありませんでした)
でも、【バスはスリだらけタクシーはボラれるから危険】という固定観念に縛られて歩いていくつもりだった僕は、だいたいの方角がわかっただけでもOKでしたので、2人にお礼を言って教えられた方角に向かって歩き出します。
ポポロ広場の門を抜けて歩きながら、
「早めにもう1回ぐらい道を聞いている方がいいよな。間違った方向に進んだらヤバいし。でもイタリア語で聞いたらイタリア語で返ってくるから難易度高いなぁ・・・(←もっと早く気付け・苦笑) 出来れば次は英語が出来そうな人に。」
と思いながらキョロキョロしていると、停車中のBMWで新聞を読んでいる男性に目が留まりました。
なんとなく英語話せそうな雰囲気だったので、
「すいません、スタジアムはどこですか?」
と英語で聞いてみたところ、
『この道をあっちに進むと川に突き当たるから、川沿いを右に進んで2つ目の橋を渡った先にスタジアムがあるよ。』
と教えてくれました。
お礼を言って教えてもらった道を進むと、すぐに川が見えてきました。
ポポロ広場のおじさんの方がインパクト大きかったですが、こっちの男性の言葉の方が断然助かってます。(笑)
さらに川沿いを5分ほど進むと、教えてもらったとおりに1つ目の橋が見えてきました。
「おーっ!これは意外に早くスタジアム着くかも!?」
などと上機嫌のまま、イタリア1人歩きデビューの僕は川沿いの散歩を楽しみます。
その日は天気も良く絶好の散歩日和で、途中で路駐してあるフェラーリを見つけては1人テンション上がってました。
がしかし。
その後、歩いても歩いても歩いても歩いても歩いても歩いても歩いても歩いても歩いても、教えてもらった2本目の橋が現れません。
1本目の橋を過ぎてから30分近く経った頃には、「もしかしてBMWのおっちゃんの言葉を僕が間違えて理解してたんやろか?」とさすがに不安になってきました。
しかも試合開始まで時間があったせいか、それとも道を間違っているからか、スタジアムに向かうサポーターらしき人もまったく見かけませんでした。
もうすでに、フェラーリ見たときのテンションはどこにもありません。(苦笑)
それでも川沿いを黙々と歩き続けていると、ついに待ち人ならぬ2本目の橋が見えてきました!!!!
(ポポロ広場からスタディオオリンピコまでの道のりです)
「あーっ、良かったぁ・・・」
と、すでに感激というよりは安堵になってしまっていた僕ですが、橋の上のサッカーグッズのショップを見つけてテンション急上昇!!(笑)
あれもこれも買いたい衝動を抑えながら、
「まずはチケットを手に入れないと。」
と考え、橋の向こうのスタジアムを目指します。
橋を渡ってスタジアムまでの真っ直ぐな道のり、わずか数百メートルの距離なのですがダフ屋がうじゃうじゃいます。
僕も10人以上のダフ屋に声をかけられたのですが、旅行中は基本的に【向こうから声かけてくる人は一切信用しない】を貫いていましたので完全無視です。
『チケット?』と聞かれれば「ノー。」
『ジャパニーズ?』と聞かれれば「チャイニーズ。」と答えて突き進んで行きました。
(当時、日本人はお金持ってると思われてましたから)
途中、英語で
『もうチケットは売ってないよ。ここで買うしかないよ。』
と言われたときはさすがに
「サッカー大人気の国だけに、もうすでに当日券は売り切れてないの?」
と足が止まりかけましたが、
「なかったらなかったとき。それからダフ屋と交渉すればいい。」
と自分に言い聞かせ、やっぱり無視しました。
中には、僕が無視するとなぜか罵声を浴びせるダフ屋もいました。
このへんもイタリアですね。(笑)
で、なんだかんだありながらもスタジアムに到着。
目の前にそびえ立つ本場のスタジアムを目の前にして身震いし、しばらく見上げたまま動けなくなっていたものの、チケット売り場を探しあたりを歩きます。
ようやく発見したチケット売り場で席種と価格を確認すると、
「た、高っけ~!!」
と目が点になってしまいました。
ゴール裏こそ安かったものの、メインスタンドやバックスタンドは日本よりも高いぐらいです。
【物価の安いイタリアでこの価格はナニ?】と貧乏学生だった僕は頭くらくらになったものの、【ゴール裏はヤバい人が多い】という先入観からやむなくバックスタンドのチケットを購入。
ようやく試合を見れることが確定しました。
無事にチケットもゲットしてホッとしたらお腹がすいてきたので、屋台でパニーノと水を買ってベンチで食べていたんです。
ちょっと遅めのランチを取りながらあたりを見回すと、僕以外にも日本人が結構いることに気づきました。
すると、3人組の日本人が僕の方に近寄ってきて、
『あのぉ・・・すいません、チケットって持ってらっしゃいます?』
「あ、持ってますけど。」
『ちょっと見せてもらってもいいです?』
「あ、はい、どうぞ。」
『あー!!なんか長さが違う!! 僕達さっきそこのダフ屋で買ったんですけど、本物かどうか確かめたくて。これって本物なのでしょうか?』
って、初めてチケット買った僕に聞かれてもわかるはずもないのですが。
彼らの他にも、なぜかやたらと日本人の方に声をかけられて、『すいません、チケットってどこで買うんですか?』と聞かれたり。
余談ですがローマのオリンピコにはこの日のほかにも4,5回来ているのですが、ほぼ毎回日本人にチケットのことを聞かれるんです。
1人で行ったときも。
友人と行ったときも。
初めて行ったときも。
ペルージャから電車乗って行ったときも。
??????
なぜなんでしょう?
僕ってそんなに声かけやすい顔してるんでしょうか?(苦笑)
そういえば、この日は日本人だけじゃなくイタリア人にも声をかけられました。
『ウチのチームで誰を知っている?』
『今日は勝つぞ!!』
『どこから来たんだ?』
etc.etc.
それにしても、この日スタジアムで出会ったイタリア人達の表情はとても印象的なものでした。
なんて言うんでしょう?子供から若者、いい年した大人までみんながみんな【おもちゃ買ってもらった子供】みたいにキラキラした目をしていたんです。
そんな光景を目にしながら僕は、「あぁ、この国ではサッカーは文化なんだなぁ・・・」と、まだJが開幕したばかりでW杯にも出たことがなかった自国のサッカーに思いを寄せました。
と、そんなこんなでいよいよ開門。
厳重な手荷物検査を受けるとともに、警備の警察官がライフルを持ちつつ不届き物は一瞬で噛みつきそうなドーベルマンを引いているのを見ると否が応でも緊張感は高まってきます。
手荷物検査ではなぜかペットボトルのキャップだけ没収されました。
これはペットボトルをピッチに投げ込む輩がいるからだと想像しましたが、キャップなくてもある程度水が入っていれば十分投げられるような気がするのは僕だけでしょうか?
(いつもながら詰めが甘いイタリア人)
もちろん物を投げるのは絶対にダメですが、イタリア人はムカつく相手や不甲斐ない自チーム、自チームに不利な判定を下した審判に対して投げれるものはすべて投げます。
だから当時のイタリアのスタジアムには、ピッチと観客席の間にネット張ってるところが多かったです。
無事に手荷物検査も終わり階段を上ると、鮮やかな緑のピッチと約8万人収容の巨大なスタジアムが目の前に広がりました。
そして、試合開始とともにお決まりの発煙筒。
って、さっきの厳重な手荷物検査にその発煙筒は引っかからなかったんですか?
ペットボトルのキャップよりよっぽど危ないと思うんですけど。(苦笑)
キックオフから繰り広げられる世界最高峰のプレーにもちろん興奮したのですが、1番驚いたのは試合途中に突然観客が足踏みを始めることでした。
想像してみてください、8万人のタテノリです。
巨大なスタジアムが文字通り揺れるんです。
そのときはこの足踏みの意味がわからなかったのですが、何度目かのオリンピコでやっとわかりました。
日本のtotoの元になったイタリアのtoto calcio。
日本ではハーフタイムや試合終了後にならないと他会場の経過や結果はビジョンに出ないですが、オリンピコでは得点が動くごとに途中経過をビジョンに表示してたんです。
で、足踏みはこのビジョンへのカウントダウンだったんです。
ラツィオの最大にして永遠のライバルといえば、同じ町、同じスタジアムをホームにするローマです。
目の前でラツィオが別のチームと戦っていても、常にローマの動向が気になるサポーターはなんと、ローマの試合をラジオで聞きながらラツィオの試合を見ているんです。
(ラジオでサッカーの生中継があること自体がすでにスゴイんですが)
ローマが失点したとき、目の前のオリンピコのビジョンにもそれは表示される訳ですが、実際に失点してからは少しタイムラグがあります。
そこでラジオを聞いていたラツィオサポーターがローマの失点を知った瞬間に足踏みを始めそれがスタジアム全体に波及していって、ビジョンに表示された瞬間に
「オ~レ!!」
の大合唱とともに8万人が高笑い。
正直、そこまでするかと思ってしまった僕はまだまだ甘いのでしょうか?(苦笑)
(穏健派ヴィッセル神戸&ペルージャサポーター)
結局、試合はホームのラツィオが0-1で敗れてしまったため、ゴールや勝利に狂喜乱舞するホームのサポーターの姿は見れなかったのですが、それでも十分に楽しめた1日でした。
(この日、僕が見た試合のダイジェストです)
ってか、初めてのローマで3泊もして、ヴァチカン美術館もコロッセオもスペイン広場もパンテオンも行かなかったのってかなり珍しいかもしれないですね。(苦笑)
6ヶ国をまわる約1ヶ月の旅の中で1番印象に残っているのがこの日だったのですが、もしローマに着いたあの夜にお酒で記憶をなくして土曜日を無駄にしてなければ僕は友人達と行動を共にしてサッカーは見に行ってなかったでしょうし、あの日曜日のあの時間にローマでサッカーがなければ、やっぱり僕は1人でローマの町を歩くなんてことはしてなかったと思います。
酔っ払って記憶なくして、サッカーがあったから初めての外国を1人で歩くなんて冒険をしようと思った訳ですが、1人で歩いてなければ友人達に頼る部分が大きくて、これほどまでにイタリア人と直接的に関わることはなかったかもしれません。
帰国後、僕が大学で単位とかまったく関係ないイタリア語の勉強を始めたのは、「言葉がわからなくてもこれだけ楽しいのなら、もし言葉がわかればどれだけ楽しいんだろう?」と思ったからでした。
そのときの僕はまったくイタリア語が話せなかった上、訪れた他の5ヶ国の中にはイタリア以上に英語が通じる国があったにも関わらず、なぜかイタリア人と1番気持ちが通じ合えたような気がしたんです。
まぁ、言葉が話せるにつれムカつくことも増えるんですけど。(笑)
それにしても、初めての海外旅行でパリにもロンドンにも行ったのに、なぜこんなにもイタリアに魅かれてしまったのか自分でも不思議です。
この旅はイタリアの後、スイス、フランス、ベルギー、イギリスと続くのですが、パリにいる頃には「イタリア帰りたいなぁ・・・」とか思ってました。
花の都にいるというのに、1回しか行ったことのないイタリアにホームシック的な。(笑)
昔話になりますが、僕がまだ幼稚園に行くか行かないかの頃、祖父が仕事でイタリアに行く話がありました。
まだ外国の意味もわかってなかったかもしれませんが、「おじいちゃん、イタリアってとこに行くんだ・・・」と寂しくなったことだけは覚えています。
小学生のとき両親に買ってもらった、ピースが国ごとの形に分かれた世界地図のパズル、僕はいつも長靴の形をした国がお気に入りで最後の最後にはめて完成させていました。
初めて見たW杯は’82スペインで、黄金の中盤と言われたブラジルが青いユニフォームの国に敗れたのを見て驚いたのを覚えています。
平成が終わろうとしている今なおその夢はかなえてないのですが、子供の頃からなぜかビアンキの自転車が欲しくて欲しくて・・・今、買ってしまうと何かが壊れそうな気もしてまだ買ってないのですが。(笑)
大学というのは第2外国語というのが必須だと思い込んでいて、入学後ドイツ語にしようかフランス語にしようか考えてたらイタリア語があるのを見つけ、「おっ、イタリア語あるならイタリア語にしよう」となぜか思ったものの、僕の学部は第2外国語が必修ではなかったためイタリア語は選択しなかったのに、この旅行を経て4年生になって単位も関係ないイタリア語の授業にほぼ皆勤する。
こうして振り返ってみると、人生で唯一お酒で記憶をなくしたのが初めてイタリアの土を踏んだその日だったことも含め、なんか導かれるべくしてイタリアに導かれたような気もします。
ええ、「僕の前世はイタリア人、たぶんフィレンツェの売れない画家」とか言ってますがなにか?(笑)
僕は、日本にはイタリアにない良さがあって、イタリアには日本人が忘れている良さがあると思っています。
これからも大好きな日本とイタリアの架け橋になれるよう、がんばっていきたいと思います。
あまりにもあまりにも長い文章を、最後までお読みいただいてありがとうございました。
La ringrazio tanto !!!!
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