日本で言うと室町幕府第4代将軍足利義持の時代にあたる1386年に最初の石が置かれ、完成したのは約500年後の1813年、江戸幕府第11代将軍徳川家斉の時代とされるミラノのドゥオーモ。
漠然と500年という数字を聞くよりも、その間の日本の歴史に照らし合わせてみるとその時間の長さをより感じられると思うのは僕だけでしょうか?
ミラノのドゥオーモのグーグルマップです。
(写真はミラノのドゥオーモです)
イタリアと聞くと古代ローマの時代からの長い歴史を持つ国、というイメージを持たれる方もいらっしゃるかと思いますが、イタリア半島が統一されて現在のイタリア共和国の前身となるイタリア王国が建国されたのは1861年のことで、国としてのイタリアは比較的新しい国家です。
それまでは、ローマはローマ、ミラノはミラノ、フィレンツェはフィレンツェといった感じでそれぞれが都市国家として存在していました。
ドゥオーモが完成するまでのミラノの支配者の歴史を見ても、ヴィスコンティ家、スフォルツァ家、スペインの支配、オーストリアの支配、ナポレオンの支配と多くの支配者の変遷と戦争を乗り越えて建築されています。
僕が1番お気に入りなのは、正面から見るミラノのドゥオーモです。
広場を挟んで対峙する騎馬像の人物、ヴィットーリオ エマヌエーレ2世はイタリア統一において大きな役割を果たすとともに、統一されたイタリア王国初代国王にもなった人物です。
この騎馬像はイタリア人彫刻家エルコーレ ローザによって1879年に制作が開始され、1896年に完成しました。
台座に描かれているのはイタリア統一への道のりで大きな役割を果たしたサンマルティーノの戦い(ソルフェリーノの戦い)を模したものです。
さらにその下の獅子の彫刻も驚くほどに素晴らしいものですので、ミラノを訪れた方はドゥオーモに少しだけ背を向けて、こちらの騎馬像にも足をお運びいただければと思います。
こちらは、ドゥオーモとガレリアの間を進んだヴィットーリオ エマヌエーレ2世通りから写したドゥオーモの斜め後ろ姿です。
個人的には、この角度も美しいと思います。
135ある尖塔の中で1番高い塔の頂上に鎮座するのはマドンニーナと呼ばれる黄金のマリア像で、昔のミラノではこのマリア像よりも高い建物を建ててはいけなかったんだそうです。
左上がドゥオーモ内部のステンドグラス、右上がドゥオーモの屋上、左下と右下はドゥオーモのの屋上へ続く道中で撮った写真です。
まだ、デジカメというものがなかった頃、フィルムのカメラで撮った写真はややボケてたりなんかおかしなことになってましたので、小さめサイズに加工して4枚1組にしてみました。
フィルムを現像するまでピンボケに気づけないとか、今では考えられないですね。(苦笑)
閑話休題。
ドゥオーモ内部のステンドグラスは息をのむほどの美しさで、ドゥオーモ左手のエレベーターから上っていく屋上に通じる道では、尖塔をはじめその細やかで多彩な装飾を間近で見ることが出来ますので、お時間のある方はぜひお試しくださいませ。
初めて目にしたときはその複雑で荘厳な装飾と直線的な造形に圧倒されるといいますか、何か畏怖のようなものを感じたミラノのドゥオーモですが、何度か見るうちに威圧感よりも散りばめられた美しさを感じるようになりました。
柔か剛かと言われれば剛のイメージの強いミラノのドゥオーモですが、内包された美しさもまた素晴らしいと思います。
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