先日、僕が暮らしていたペルージャのサッカーチームの公式twitter がこんなツイートをしました。
🔙 14 maggio 2000
🌧 Perugia-Juventus 1-0
📸 Foto Settonce. Riproduzione vietata.
⠀#perugia#forzagrifo pic.twitter.com/QPtKNKwY28— A.C. Perugia (@ACPerugiaCalcio) May 14, 2020
2000年5月14日ペルージャのホームスタジアムで行われたユヴェントス戦、僕もレナトクーリのバックスタンドで応援していたのですが、この試合はいろいろな事を思い出す特別な試合です。
「あれから20年も経つんだなぁ・・・」
と懐かしく思うと共に、当時の状況を振り返ってみたいと思います。

ペルージャのレナトクーリスタジアム
セリエA99-00シーズン最終節、スクデットのかかった豪雨とカオスのペルージャvsユヴェントス
中田英寿2年目、99-00シーズンのセリエA概要
フランスW杯を経てペルージャへ移籍した中田英寿選手、W杯中からイタリアでもいろいろな移籍先の名前が挙がっていましたが、まさか自分が住んでる町に来るなんて驚きでした。
ユヴェントスを相手の開幕戦、衝撃の2ゴールから始まってシーズン10ゴールをあげてチームをセリエAに残留させて完全にチームの中心選手として迎えた2年目。
ホームゲームの度にせっせとスタジアムの駆けつけていた僕ですが、年末の最後のホームゲームが試験前日でもちろん優秀ではない僕は必死のぱっちで勉強必須な状況で、「今日我慢しても年明けたらヒデの試合はまた見れる。今は勉強せんとマジでやばい」と3-2で勝利したボローニャ戦をあきらめ勉強していたら・・・・年が明けて中田英寿はローマに移籍してしまいました。(悲)
当時は世界最強リーグとして名を馳せたセリエAの、ユーヴェ、ミラン、インテルの北部3チームにラツィオとローマのローマの2チーム、フィオレンティーナとパルマの7チームが「7 sorelle(7ソレッレ=7シスターズ)」と呼ばれ優勝争いを繰り広げる中、全34節の26節終了後には首位ユーヴェと2位ラツィオの勝ち点差が9に広がり、ラツィオのクラニョッティ会長も「残り8試合で勝ち点差9は厳しすぎる」と匙を投げかけたのですが、しかし。
最終節の1週間前、第33節ユーヴェvsパルマで起こった疑惑と論争、優勝争いを左右する幻の同点ゴール
勝ち点差9に広がった26節の後、直接対決を含む32節までの6試合でユーヴェは3勝3敗と足踏みする中ラツィオが5勝1敗と粘ったことで、残り2節で首位ユーヴェと2位ラツィオの勝ち点差は2に。
一気に優勝争いが熱を帯びてきます。
そして迎えた33節、ラツィオがアウェイでボローニャに2-3で競り勝つ一方、ホームにパルマを迎えたユーヴェで優勝争いを左右する幻の同点ゴールが生まれてしまいました。
ユーヴェの1点リードで迎えた試合終了間際、パルマはヴェロンの正確なコーナーキックからカンナヴァーロのヘッドで確かにネットを揺らしたのですが、主審はゴールの直前にパルマにファウルがあったとしてこのゴールを認めず、最終的にユーヴェが1-0で試合に勝利する結果となりました。
最終節を残し首位ユーヴェとラツィオの勝ち点差は2。
ユーヴェはアウェイでペルージャ戦、ラツィオはホームでレッジーナ戦。
ラツィオは勝利が必須の上、ユーヴェが勝てばユーヴェの優勝、引き分けでプレイオフ、負けた場合のみラツィオの優勝というまさに崖っ淵に立たされることになりました。
33節終了後の夜に見た、日本では考えられないイタリアのサッカー番組
当時のイタリアでは「TVで放送したらスタジアムに行く人が減る」という観点からかセリエAの地上波生中継はなく、当日の夜に生放送のダイジェスト番組を見るのが楽しみでした。
選手や監督と中継を結びインタビューするのはもちろん、スタジオにはファンの人達も入り時にファンの人にも生中継でインタビューするという番組でした。
この日のダイジェスト番組で記憶に残っているのは、まずラツィオのクラニョッティ会長が吠えたこと。
主審がユーヴェに有利な判定を下したと批判し、「こんなセリエAやってられるか。プレミアやブンデスやリーガのビッグクラブ集めて欧州スーパーリーグ作ってそっち行くわ!!」(意訳)と爆弾発言!!
(これがJなら、ロスタイムが18分あろうがネットを揺らしたゴールが認められなかろうが、チーム関係者が主審に対して「間違うな」という論調で発言することはあっても「八百長ちゃうんか!?」的な言葉を発することはありえないでしょう)
この発言を受けてダイジェスト番組の司会者が、ユーヴェのキャプテンであるコンテに「貴方はユーヴェが審判から有利な判定を受けていると思うか?」とまさかのド直球な質問。
(コンテの答えは「今回はユーヴェに有利に働いたが、それは他のチームにだって起こっている。私はユーヴェのキャプテンとして、そんなことはありえないと確信している」的なものでした。)
さらにさらに、スタジオにいるファンにこのセンシティブな問題に対して意見を聞き、聞かれたファンも「私は〇〇サポーターだが、今回の幻のゴールはおかしいしユーヴェは審判に守られていると思う」みたいな発言してTVの前の僕は「イタリアすげ~」と唖然茫然。
もちろん番組のコメンテーター達も喧々諤々、自分の意見を通すために周りの人よりも大きな声で飛沫を飛ばしながら持論を語り(人の話は聞かず)、異様な雰囲気のまま番組は終了。
とにもかくにも勝ち点2差で1週間後に迎える最終節、ペルージャで暮らしペルージャを応援する僕にとってちょっと納得いかなかったのは、「たとえラツィオが最終節勝ってもペルージャがユーヴェに勝てる訳なんてないんだから、もうユーヴェの優勝に決まってる」という空気感でした。
いやまぁ、確かにユーヴェは強いしそれまで他の7シスターズ(2位から7位)とのホームゲーム6試合は2分け4敗で1つも勝ってないし、僕も正直勝てる気はしてなかったですが。
最終節までの1週間、知らぬ間に変わったチケット発売スケジュール
この試合に限らず、疑惑の判定があったときには八百長だの盗まれた勝利だのあれやこれや騒ぐセリエですが、このときほど緊張感に包まれた1週間はなかったのではないでしょうか?
主審の判定で物議を醸した後の最終節、という重大な責任がのしかかる試合で「誰がユーヴェ戦の笛吹くねん?」という世間の空気の中、選ばれたのはやはりこの人、当時世界No.1レフェリーとして名高いピエルルイージ コッリーナさんでした。
何曜日だったか忘れましたが、毎日買ってたガゼッタの一面に「ペルージャvsユーヴェの主審はコッリーナに決定!!」という記事が写真と共に載ったのを覚えています。
で、ずいぶんと前からこの最終節ユーヴェ戦を楽しみにしていた僕。
当時のセリエは今のようにネット販売等もなくチケットは基本当日券、もしくは試合の週の木曜日(3日前)にペルージャのオフィシャルショップで前売り販売というのが一般的な流れでした。
そういえば、日本だと前売り券って当日券より安く買えるじゃないですか。
でもイタリアでは「キミの為に通常より早くチケット確保してやってるんやで」という意味かなんかわからないんですけど、前売りで買うと当日券の価格+手数料を取られるという謎仕様でした。
ところ変わればいろいろ変わるもんですね・・・・
さて、前述のダイジェスト番組を見た翌日、僕はいつも通っていたエディーコラ(キオスク的なもの)に行きイタリア人の友人に「昨日のTV凄かったねぇ。週末のユーヴェ戦は絶対見に行きたいから、またいつものように木曜日にオフィシャルショップ行って前売りチケット買うよ!!」と言ったところ友人がまさかの返答を。
『いや、最終節のユーヴェ戦は先週チケット発売されて、すでに売り切れになってるよ』
「????」
「今なんと!?」
「先週発売??すでに売り切れ??」
「え!?なんでそんないつもと違うスケジュールで販売してるの??ユーヴェ戦だから??最終節だから??」
まだそんなにネットも普及していない時代、情弱な外国人留学生のアンテナには引っかからなかったチケット販売スケジュール変更のお知らせ。
優勝どうこうは関係なく、「デルピエーロやジダンが見れる!!」と楽しみにしていたユーヴェ戦が見れないことがわかって動揺している僕に、これまたイタリア人がまさかの一言を。
『マサ、どうしても見に行きたいのか?ゴール裏のチケットは無理だけど、高い席ならもしかしたら何とかなるかもしれない。値段高い席でもいいか?』
と聞かれ、貧乏学生のため普段はゴール裏ばかりの僕もこのときばかりは
「いい!いい!いい!どこの席でもいいからお願いします!!」
と即答。
数日後、見事に友人はバックスタンドのチケットをゲットして僕に渡してくれたのでした。(売り切れたはずのチケットをいったいどこから??)
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みなさま、覚えておいてください。
この国で1番重要なものは「コネ」です。
このときに限らず、コネがあったおかげで問題を切り抜けたシーンが他にもあります。
イタリアでなにか問題が起こったときは、それが友人じゃなくてもホテルの人でもお店の人でも頼ってみましょう。
きっとイタリア人は力になってくれるはずです!!
(ただし、貴方を騙そうとしている悪い人もいっぱいいますので、頼る人を間違えませんように)
勝てば優勝のユーヴェ、晴天からの豪雨、長い長い中断の先に待っていた結末
僕が借りてた部屋のあるペルージャの中心から、スタジアムまでの道のりはこんな感じです。
これ、衛星写真では高低差見えないですけど、ちょっとした山ぐらいあるんですよ。(笑)
当時はミニメトロがなかったので、バスに乗って駅で乗り換えるか歩いて行くかだったのですが、僕は歩くのが好きなので1時間ぐらいかけてのんびり歩いて行くことも多かったです。
(ペルージャのミニメトロはこんな感じです)
で、これが不思議なのですが、「家を出るときは晴天(ホントに↑の画像ぐらい晴天!)で試合開始2時間前ぐらいにスタジアム着いたときもまだ空は晴れてるのに、試合開始が近づくにつれどこからともなく雨雲がやってきて豪雨、試合が終わって帰る頃にはまた晴天」というのが何故だかよくありました。
中田英寿vs名波浩の日本人ダービーの試合が雨の中の戦いだったことを覚えている方もいらっしゃるかと思いますが、あの試合もたしかスタジアムに向かうときは雨降ってなかったと思います。
閑話休題。
迎えた最終節、ユーヴェ戦も「いい天気だなぁ」なんて呑気に思いながら家を出たのですが、試合が始まる頃には豪雨、それもあの日本人ダービーの比ではないぐらいの豪雨。
前半はまだ幾分マシだったものの、たぶん僕がペルージャで見た試合の中で1番激しい雨と酷いピッチコンディションで、Jリーグで例えるならピクシーがリフティングして前進した試合あるじゃないですか、あれぐらい酷いピッチコンディションで途中からは蹴っても蹴ってもボールが前に進まない弾まない状況で前半を0-0で折り返すというまさかの展開。
途中、傘もカッパも持たずにビショビショになりながら観戦する僕を見かねた隣の見知らぬイタリア人が一緒に傘に入れてくれ、話を聞いたところユーヴェのサポーターで優勝を見届けるために車で2時間かけてやってきたとのこと。
ペルージャのホームスタジアムだというのに、たしかにこの日はユーヴェのサポーターも多かったです。
前半終わって他会場の途中経過は2位ラツィオがレッジーナを相手に2-0のリード。目の前のペルージャvsユーヴェは引き分けの状態なのでその時点での優勝争いはまったく同じ勝ち点でこのまま終わればプレイオフという緊迫した状態。
だったのですが、残留も決まり中田英寿もいないスペクタクルもファンタジーもない目の前の泥んこ田んぼ試合に正直僕は、「お願いだからもうさっさと試合終わって。早く家帰ってシャワー浴びたい」と思っていました。(笑)
そんなことを思いつつ、隣のイタリア人が傘に入れてくれてもびちゃびちゃに濡れる豪雨の中、15分経ったというのに一向に選手が出てきません。
「???」
と思っていると主審のコッリーナさんが傘をさして1人出てきてピッチ状態を確認します。
ボールを蹴ったり投げたりしてもまったく進まず弾まず、しかも雨は全然止まず・・・
『こんなピッチコンディションではまともに試合は出来ない。豪雨が少しでも収まるまで後半開始を待つべきか?』
ということを考えていたのではないかと思いますが、後半開始が遅れれば遅れるほど、他会場の経過や結果を知った上でユーヴェとペルージャの選手が試合を出来ることになります。
また、前述の前節ユーヴェvsパルマの後の炎上もありましたから、後半開始を遅らせるにしても試合続行不可能とするにしても、主審としての判断はより難しいものになっていたと思います。
スタンドから見守る僕達も「どうなるんだろう?」と思っていたところ、コッリーナさんがユーヴェとペルージャの両キャプテンをピッチ上に連れ出し、この最悪のピッチコンディションの中試合を続行するかどうか尋ねたところ両キャプテン共に「もちろんやる!!」と。
雨に打たれたハーフタイムが何分あったのか正確には覚えてはいないんですけど、もしかしたら1時間ぐらい待ってたような気もします。
変わらぬ豪雨の中で始まった後半、「このピッチコンディションじゃさすがのユーヴェも簡単に点は取れないだろうし、こりゃ0-0でラツィオとプレイオフかなぁ・・・」と、ペルージャを応援しながらペルージャが点を取れるとはまったく思っておらず、ユーヴェが点を取れるのかどうかを気にしていた僕の目の前で奇跡が起きました。
後半開始早々の49分、ペルージャのカローリがまさかの先制ゴール!!
ペルージャのゴール裏こそ歓喜に包まれましたが、なんかスタジアムが一種異様といいますか虚をつかれたような不思議な雰囲気になったのを思い出します。
結果的にこの1点が決勝点となり最後の最後で優勝を逃したユヴェントスと26年振りのリーグ優勝を手にしたラツィオ。
1年前ミラン相手の最終節でミランの優勝とペルージャの残留が決まった試合に続き、この年も最終節のペルージャがリーグ優勝に関わったことがなんか不思議な感じでした。
試合終了後スタジアムに乱入するサポーターと、ローマの祝祭
なぜだかはわからないのですが、セリエでは最終節のみ試合終了後サポーターがピッチに乱入することを許されます。
このシーズンの1年後、中田英寿がローマで優勝したシーズンの最終節でサポーターがピッチになだれ込んだ光景を覚えている方もいらっしゃるのではないかと思います。
この豪雨のユーヴェ戦の後も同じ様にサポーターはピッチに乱入した訳ですが、↓の動画の8:20~試合終了間際ボールをキープするマテラッツィが試合終了の笛と共にロッカールームへ繋がる通路へダッシュで逃げる様子が見られます。
ほんと、この乱入でサポーターに囲まれた選手は追剥よろしくユニフォームもパンツもストッキングもシューズも全部無理矢理脱がされて奪われていきますからね。
僕はピッチには下りて行かなかったのですが、ほんと見ていて恐ろしい光景でした。
さて、ここからは当時ローマに住んでいた友人に聞いた話なのですが、26年振りの優勝を手にしたラツィオのサポーター達はこの日から1週間以上に渡り町で飲んで歌って暴れて車やバイクで暴走して、それはそれは危険な状況で友人は家から出るのを極力減らしていたそうです。
さらにこのローマのお祭り騒ぎは、1年後今度はローマがリーグ優勝を果たしたことで今度はローマサポーター達の長い長い宴が続いたため、友人が「もうローマに2チームが優勝するのはこりごりだ!」というほどに苦い思い出になったそうで・・・・
終わりに
これを書いているのは2020年の5月、世界が新型コロナウイルスと戦っている真っ只中で、Jリーグをはじめ世界のほとんどのリーグが中断している状況です。
サッカーが見れない状況の中、20年前の思い出を引っ張り出して長々と書いてみた訳ですが、このサッカーに飢えてた日々を未来の僕達はどんな風に振り返るんでしょうね?
1日も早くコロナが収束して平穏な日常が戻るとともに、またスタジアムの熱狂をみんなが楽しめる日が来るのを願いながら、みんなで頑張っていきましょう!!
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